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一幹両枝

 済々黌が二校に分かれたのは明治33年(1900)4月1日のことである。これは当時の済々黌が生徒数があまりにも多くなり「中学校編制及設置規則」に反するようになったため、済々黌の全生徒を二分割したのである。従って名称も「第一済々黌」(後の済々黌定員800人)と「第二済々黌」(後の熊本中学校定員600人)と兄弟校のように名乗ったのである。つまり両校の関係は本校・分校という関係ではないので、これを「一幹両枝」の関係というのである。
 明治36年(1903)12月8日の深更、済々黌校舎.の一隅から出火、午前4時半には全校舎焼け尽くしてしまった。重要書類・黌旗等も焼失してしまった。翌年1月わら葺き二棟の仮校舎のできるまでの間、火事の翌日から熊本中学校は午前中で授業を切り上げ、午後は済々黌生徒が熊中の教室で授業を受けるように取り計らい、熊中の厚誼として深く感謝されたのである。これも「一幹両枝」の関係があったればこそである。二黌分設後両校の教師の合同研修会が行われていたのも故無しとしない。平成6年からの両校の合同研修会が年2回復活したのもこの「一幹両枝」の関係の新たな復活であり、両校が大いに発展していく礎になればよいと思われる。

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