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門柱について

 本校創立当初の藪の内時代の写真を見ると、竹垣に木製の門柱があり、そこに墨痕鮮やかに「熊本県中学第二済々黌」の表札が掛かっている。校名変更後は「熊本県立熊本中学校」と替わっている。それが大江村移転後の新築当初のいかにも木の香かおりそうな写真を見ると、現在の石柱が誇らしげに立っている。そこには下部の削れた跡もはっきりと写っている。しかしこの門柱には表札が掛かっていない。monchu.JPG
 それではこの石柱はどこから来たのだろうか。この石柱は元熊本城正面入り口の下馬橋の橋脚であった。昔高橋舟といって高橋から毎日十隻以上も坪井川をさかのぼって天草方面から主として薪を運搬していた舟があった。その舟が橋脚とすれ連うために石の一面が凹んでしまっている。この橋が明治35年に行幸橋に架け替えられたとき、これを取りのけて百間塀(長塀)の下に投げ出してあったのを野田校長が本校の門柱としてもらい受け、熊中生が車を引いて運んだと伝えられている。
 「たとえ世に知られなくとも社会の礎たれ」という野田校長の教えがこの校門に込められていると伝えられ、教えられてきた。ここに野田校長の「士君子たれ」という無言の教えが確かに込められているように思われる。

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