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「校旗」の槍物語

 本校の校章は明治36年4月、野田校長がそれまでの済々黌時代の桜から三葉銀杏に変えられた。これは銀杏城にちなみ、かつまた熊本県の美風をこれに託されたからである。
 本校で校旗が制定されたのは昭和6年(1931)の大演習前のことで、当時熊中が柔道・剣道・弓道の三国技に優勝した記念に、制定されたものである。
 この校旗は、肥後熊本の豪傑沢村大学が徳川家康より拝受した皆朱の鑓(皆朱の鑓を持つことを許された武者は全国でも僅少であったらしい)を柄としたもので、旗の中の旗として好評を博したものである。それが惜しいことに昭和20年7月1日夜半からの戦災によって焼失してしまった。
 木下和夫(中48)に戦災の後片づけの話を聞いた。それによると
 氏が熊中三年生の時図書館以外はすべて焼失した。学校に駆けつけて後片づけをしていると、校旗の槍と思われるものが見つかった。それに「九州肥後同田貫」と銘が打ってあった。なぜ覚えているかというと、
 ①変わった名前の銘である
 ②直刀で長いなあと感じたからだそうである。
  「同田貫」とは何か。慶長年間を中心に栄えた刀工の一派が、加藤清正の保護を受けて玉名郡一帯で作刀した。その刀は豪刀・武用刀で反りが浅く身幅広く、切っ先が伸びた無骨な姿をしている。大身の槍も薙刀も多い。熊本城のお備え刀三百本はすべて同田貫であったという。この一派は明治初期まで続いた。始祖である清国は『伊倉同田貫』と呼ばれ木下姓を名乗った(『熊本県大百科事典』による)。木下和夫はこの伊倉の木下家と繋がりがあるというのも何か不思議な因縁である。yari.JPG
 そこで木下が発見した槍がその後どうなったのか。今、江原会館にある槍がそうだと思われるが。この槍も刀身が72cmあり、柄も222cmと大柄である。穂を外して銘を点検してみたところ「九州肥後同田貫兵部」と銘が打ってあった。しかし、この穂先には焼けた形跡もなく、また柄についても50年くらいのものではなくもっと古いものであるとの専門家の認定だそうである。そうすると謎はますます深まるばかりである。
 また、この校旗が、創立60周年を迎えるにあたって復元された。
 旗は現在の校旗と同じ褐色(カチイロ、濃紺色)に白いふちをとり、中央に白の校章を染めぬいたもので、縦69糎、横96糎、旗の柄は皆朱の槍、即ち鑓つきの朱塗りの柄であるが、穂先は同田貫治兵衛の作といわれ69糎、その柄は一まわり大きく、長さは1米50糎、穂先まで合わせると2米26糎の長さとなる。
なぜ同田貫を校旗の槍にしたのか、これについても詳しいことはわからない。

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