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江原会史 (熊中・熊高百年史より転載  ※内容は平成12年当時のものです。

 
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第四節 江原会この20年(2)
(二) 韓国、大田(たいでん=テヂョンTaejon)高校同窓会との姉妹締結
翌、昭和五十九年(一九八四)、韓国、大田高校同窓会との姉妹締結の動きが始まった。
1.交流開始のきっかけ
 大田高校は、もともと韓国人と日本人が共に学ぶ中等学校として戦前に発足した高校である。終戦後現在に至るまで、この学校は韓国の政・財界をリードする多くの人材を輩出している。
 昭和五十八(一九八三)年、沢田一精(中39)が知事であった熊本県と、韓国忠清南道との姉妹提携がなされた。その一環として、江原会と大田高校同窓会との交流が考えられた。
2.交流開始の経緯
 昭和五十九年(一九八四)一月下旬、当時の江原会副会長今村恒吉(中26)ほか同窓生七、八名が水野重任江原会長を訪問し、「大田高校同窓会との親善交流の話が出ているので、韓国調査団を派遣したい」と提案したのに対し、水野会長が「了承」したのが始まりである。
 昭和五十九年(一九八四)三月、定政雄毅(中48)ほか四名の調査団が訪韓し、大田高校同窓会長千永星氏と面会した。
 同春、日韓親善協会を通じ、韓国大田高校同窓会より「熊本の名門校、熊本高校」と交流したいとの打診があった。
 同五月、大田高等学校同窓会長千永星氏より水野会長へ正式に招請歓迎の親書が届けられた。その親書の内容は、
 一、両同窓会親善交流について、二、熊本側同窓会員訪韓歓迎日程について(七月ごろ)、三、熊本側会長水野氏を招請したい、四、帰国後即時大田高等同窓会長両同窓会親善交流要請書信発送、とのことだった。
 この親書を受けて、江原会会長、副会長が五月三十日に協議、同年六月一六日に幹事会を召集、両校同窓会交流の承認を得た。幹事会後同日開かれた常任幹事会で、親善交流実行委員会が組織されることとなり、同年九月に、十時義七郎(中46・四)を委員長とする委員会が発足した。
 九月五日、花吉熊本高等学校長を交えて協議、交流は同窓会としてのみ行うことに決定した。同委員会は、十数回の会合を重ね、訪韓団の人選などを行った。
 同年九月二三日、一、大田高校同窓会との交流、二、同窓会員相互の親ぼくを目的に、団長水野会長を始め、代表団二十名、その他同校同窓生五七名よりなる訪韓団が出発した。
 この際に、四項目にわたる事前合議書の署名調印が行われた。
 十時義七郎(中46・四)は、次のように記す。(傍線引用)
 九月二三日一八時よりの双方代表団による協議会において、先方から姉妹結縁(けちえん)のための合議書案が示されました。『当方としてはまだその段階に至っていない、帰国後幹事会に諮った上でお返事したい』と提案しますと、先方は、『ここまで進んできてその提案はおかしい』と、やや険悪な雰囲気となり、結局、翌朝九時に協議再開することを約して散会。江原会代表団においては、その後深夜まで激しい意見交換の上、原案通りの合議条件に合意することで決着しました。
 九月二四日十時三十分よりの歓迎レセプションは大田高校体育館で行われ、両会長による合意書署名、両会長挨拶(あいさつ)の後歓迎パーティが行われました。その歓迎パーティの盛大さには大田側の意気込みのすさまじさが感じられ、当方側出席者一同が今後の交流に一抹の不安さえ感じるほどでした。 同年九月二九日に常任幹事会及び幹事会の、十一月九日に江原会支部役員会の承認を取り付け、同日の江原会総会に水野会長より交流開始を提案、可決された。
 昭和六十年(一九八五)九月六日、大田高校同窓会代表団十七名が来日。翌七日、熊本市ニュースカイホテルにおいて、千会長と水野会長の覚え書きへの調印が行われた。

 

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