江原会事務局

HOME > ライブラリー > 江原会史

江原会史 (熊中・熊高百年史より転載  ※内容は平成12年当時のものです。

 
トップ |江原会のあゆみ |江原会史
第五節 江原会の今と将来(4)
関西江原会
 関西江原会は、母校創立七十周年の年、昭和四十五年(一九七〇)に結成された。初代会長に熊谷栄次(中13)を拝し、第一回の総会を大阪のホテル・プラザで開催した。約七十人が参加して、会則や役員等を決めた。名簿調査の作業から入り、約五百人の同窓生諸氏の所在が判明した。関西の地で、同窓会の組織が生まれたのは珍しく、熊谷会長が「熊中・熊高の同窓の士が一堂に会した意義は大きい。士君子の教えを体し、社会に貢献してゆこう。そして、相互の連携を深めよう。」とあいさつ。これを契機に、年一回の総会が第三回まで開かれた後、不思議なことに中断してしまった。
 その後、母校が創立八十周年を迎え、熊本において祝賀行事が挙行された後、関西江原会復活の声が大きく広がった。熊谷会長も再建への強い意欲を持って臨まれた。母校の柳本校長からも担任時代の教え子たちに協力して欲しい旨の要請もあり、事務局や役員等の候補者選定と総会開催についての諸準備に入った。会長の適切な指導を受けながら、新会長を永田敬生(中29)に決めた。事務局長に横田俊次(中45五)が決まり、旧制・新制から約三十人の幹事会を組織した。
 昭和五十七年(一九八二)十月、ホテル・プラザに二百六十余名が集まった。再スタート第一回総会で、熊谷会長から永田会長へ引き継ぎのあいさつ。母校の柳本校長、水野熊本江原会副会長、東京江原会の小川幹事長、沢田熊本県知事のあいさつの後、鏡開き。十年ぶりの「江原健児の集い」は大にぎわいであった。招待した在阪(ざいはん)の各高校同窓会の会長や熊本関係の企業及び各種団体代表者との交流と親ぼくも、更に会を盛り上げた。また関西熊本県人会の初代会長に永田関西江原会会長が就任、関西江原会が関西熊本県人会の核となる組織となった。新生関西江原会の誕生は、若手幹事の献身的な協力と、関西在住約千人の同窓生の理解と協力が実を結んだ力強いスタートであった。
 昭和五十八年(一九八三)には、第二回総会開催に合わせて、「関西江原会報」の発行に着手。タブロイド版二ページで、題字は立石一眞(中18)の揮毫(きごう)による。総会では、会報創刊号を初めて配布した。続いて、校歌のテープが流れ全員で斉唱したが、これを作成したのが、隊長荒木昭三(中45五)の大阪市消防音楽隊であった。「故郷を味わう」と銘打った同窓会で、料理屋台を設置したり、福引大会では、熊本物産のお土産が用意され家族共々楽しんだ。
 第三回総会は、昭和五九年(一九七四)十月、新阪急ホテルで開かれた。前年秋の叙勲で勲一等瑞宝章(ずいほうしょう)を受章された永田会長のお祝いを兼ねた総会になった。なお、永田会長は、母校で推進している「江原文庫」に受章記念として基金を、更に関西江原会にも活動資金を寄付した。熊本高校では、さっそく「永田文庫」を設立し、蔵書の充実を図る運動が展開された。パーティの方は、名物になった故郷料理で大いににぎわい、熊本物産の景品を土産に持ち帰った。
 第四回総会は、昭和六十年(一九七五)十月、新阪急ホテルで開かれた。佐賀県在住の元熊中教頭進藤担平先生をお迎えした。江原文庫についての説明と協力要請があり、賛同を得た有志から基金が寄せられた。又、アトラクションとして、宮本武蔵・二天一流の型が披露され華を添えた。
 第五回総会は、昭和六一年(一九七六)十一月、新阪急ホテルで開かれた。母校八十周年事業の一環としての母校緑化基金を、熊谷栄次・関西江原会顧問が、来賓の花吉校長へ贈呈した。「教育環境の美化、緑化を推進して後輩たちの情操教育に役立てて欲しい」との願いが込められ、さっそく学校では、昭和六十二年三月に完成した新校舎周辺に「熊谷記念庭園」を造成、記念碑を建立した。
 第七回総会は、昭和六三年(一九七八)十一月、新阪急ホテルで開かれ、熊本近代文化功労賞を受賞した立石一眞(中18)の祝賀も兼ねた。これは、科学技術の振興に寄与した事によるもので、同氏は昭和五十六年(一九八一)に勲二等を受章している。
 平成元年(一九八九)の総会後、熊高ラグビー部の、第六九回全国高校ラクビーフットボール大会(花園ラグビー場)への初出場のニュースが届いた。関西熊本県人会挙げての大応援が実を結び、初戦は強豪・宮城水産校を破り、高らかに校歌を歌った。二回戦は、シード校の黒沢尻工校(岩手県)にわずかの差で惜敗した。
 平成二年(一九九〇)の総会では、母校の創立九十周年を祝福し、関西江原会会長から水野熊本江原会会長へ「江原の森建設基金」を贈った。
 平成三年(一九九一)十一月、今日の組織化に尽力された永田敬生会長が高齢のため会長を勇退され、名誉会長に就任され、南新会長に引き継がれた。
 平成四年(一九九二)十二月と平成五年(一九九三)十二月、熊高ラグビー部が連続三度の花園二回戦進出を果たした折りも、関西江原会は大応援を繰り広げた。
 平成七年(一九九五)一月十七日、観測史上初の震度七の激震が阪神・淡路地区を襲った。死者は六千人を越え、家屋等の倒壊は十四万戸以上に達し、ライフラインがずたずたに切断された。このような中で、第十四回総会は、その年の十一月に開かれた。お互いの無事を喜び合ったり、友の消息を尋ね合ったり、各々の被害の模様を語り合うなど心痛む会となった。
 平成八年(一九九六)十一月十五日、第十五回総会で南会長が勇退。後任に横田俊次(中45・五)が就任。
 平成九年(一九九七)十月十二日、大阪最大のお祭りの一つ「御堂筋パレード」に藤崎八幡宮秋季例例大祭の馬追いが招へいされた。熊本青年江原会が中心となり、高校OB連合会の二十周年記念事業としての多数の参加があり、約百五十万人の見物人の度肝を抜いた。
 平成九年(一九九七)十二月、全国高校ラグビーフットボール大会へ熊高ラグビー部四回目の出場。惜しくも初戦突破はならなかったが、東海大一高(静岡県)との立派な戦いぶりに、スタンドから大きな拍手が送られた。
 平成十年(一九九八)一月三十一日、第十六回の総会が新阪急ホテルで開かれた。初の試みとして夫人同伴のパーティを開き大いに盛り上がった。
 関西江原会は、新しい二十一世紀を展望しつつ、士君子道を愛しはぐくんでゆく覚悟である。朝夕、白川を臨み、阿蘇の噴煙を望み、金峰の夕日に大呼した青春の日々は、関西江原会に永遠に引き継がれて行くことだろう。

 

Copyright © 1999-2012  Kogenkai Office  All Rights Reserved.  ■江原会事務局 TEL/FAX: 096-362-5866