平成12年度第二回常任幹事会・第一回学年幹事会(平成12年5月29日)資料
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★は常任・学年共通資料です。
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イートンカレッジチャペルクワイヤスケジュール案(2)
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見本1はじまり
タイトル
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平成12年度第一回常任幹事会
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開催日
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平成12年4月20日(木)18:00~
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登録日
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2000年04月20日 15時11分59秒
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| 報告 |
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| 内容 |
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見本1終わり
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見本2はじまり
見本2おわり
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見本3はじまり
熊中・熊高創立100周年ガイドブック

見本3おわり
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見本4はじまり
熊本高校創立百周年記念行事日程平成12年予定
次の行事は同窓生以外の方にも開かれています。ご来場をお待ちしております。
行事の詳しい内容を見るには、色の付いた文字をクリックして下さい。
11.11.25改訂版
見本4おわり
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見本5はじまり

イートン・カレッジ・チャペル・クワイヤー[http://www.etoncollege.com/](1999.12.6)
=イートン・カレッジチャペル・クワイヤー=
ヘンリー5世は10名の男性と16名の学生に礼拝の際に歌うように決め、イートンでの聖歌隊の伝統は、晩の祈りや学期中の学校の礼拝で定期的に歌うことによって守られてきた。
今日の聖歌隊は54名のイートンの学生(うち1,2名の教師)から成り、そのうちの多くがイートン校へ来る前に、大聖堂や教会で聖歌隊に参加していたミュージックスカラーである。
聖歌隊は毎年イースターにツアーを行っている。
1988年アメリカ:ニューヨーク、ワシントン、パーム・ビーチ・フェスティバル(イースター)
1988年アラブ首長国連邦:アブダビ、ドゥバイ、クエート、マスカット(クリスマス)
1988年南部英国大聖堂
1990年フランス:パリ(Nortre Dame, St. Pierre de Chaillot, The American Cathedral Fontevraud Abbey)
1991年北部英国大聖堂
1992年日本(東京、名古屋、京都)、香港
1993年アイルランド:コーク、リムリック、ダブリン
1994年チェコ:プラハ、カルコビ、バリ
1995年アメリカ:シカゴ、ニューヨーク、ソルト・レイク・シティ
1996年フランス:パリ、ベルサイユ)、英国大聖堂
1997年南アフリカ:ヨハネスブルグ、ケープ・タウン
1998年アメリカ:デンバー、サンフランシスコ、チャールストン
1999年イタリア
2000年日本:熊本、東京
2001年アメリカ
イートンの聖歌隊のレパートリーは広く、15世紀のイートン賛美歌からArvo Partの様な近代の作曲家の作品まである。ツアー毎に1名のオルガン奏者が聖歌隊に同行しオルガンのソロを披露したりする。
イートン聖歌隊の最新のレコーディングはMusic from the Eton Choirbookと20世紀英国聖歌を収録したI Will Lift Up Mine Eyes, Choral Evensong from Eton College、そして厳密なハーモニーのセレクションであるTop Hats and Tailsである。
聖歌隊の指導者は、イートン・カレジの音楽の指導者であり聖歌隊の先唱者でもある、ラルフ・アルウッドである。彼は、夏のイートン・コーラル・コースを開催し、ロドルフス・クロワイヤー、ウィンザーイートン・コーラル・ソサエティの指導をし、更にVoices Foundation Symposiumとヘアフォード・サマー・スクールでコーラルコンダクトを教えている。また、英国や海外でも定期的にコーラスのワークショップを開いており、さらにセインズベリーのChoir of the Yearの審査員も務めている。
毎年、8つの音楽のスポンサーシップ(うち4つは授業料の半分、あと4つは授業料の6分の1)が13歳の少年に与えられる。必要によっては、イートンでは音楽のスカラーシップは授業料全額まで負担することもある。また、毎年6つまで、音楽のレッスン料のみ負担するエクシビションも与えられる。
公立学校出身の才能あるSingerは、シックス・フォーム・スカラシップを通して入学することができ、そのスカラシップを通じて最近、St. John'sとKing's College (Cambridge), MagdalenとWorceter College &
University College (Oxford)へのコーラスとオルガンのスカラーシップが与えられた。
7名のフルタイムの音楽のスタッフと55名の非常勤の教師が音楽の授業や楽器指導を担当している。
カレッジ・チャペル・クワイヤー以外に、イートンにはロウワー・チャペル・クワイヤー、オーケストラ2つ、バンド2つ、ジャズバンド2つ、無伴奏合唱1つ、コーラス、そしていくつかの室内アンサンブルのグループがある。毎年学生はウィンザー・フェスティバルでコンサートも開いており、1994年にはファースト・オーケストラがイタリアのSpolcto Festivalに参加したこともある。3つのフルのシンフォニー・コンサートが毎年行われ、それぞれが学生によるコンチェルトを伴うものとなっている。
=レコーディング=
◎MUSIC FROM ETON(1990年、1997年再販)
コーラス・オルガン・オーケストラ音楽
◎THREE PIECES FROM THE ETON CHOIRBOOK(1994年)
◎I WILL LIFT UP MINE EYES(1996年)20世紀聖歌
◎THE ORGANS OF ETON(1997年)
イートン卒業生(オールド・イートニアン)のオルガンスカラーによる演奏
◎EVENSONGS FROM ETON COLLEGE(1997年)
◎TOP HATS AND TAILS(1998年)
見本5おわり
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見本6はじまり
「江原会とは、
熊高の全身である旧制熊本中学校と
今の熊本高校を通じての同窓会
の名称である」
江原会のあゆみ
江原会史
| Vol.1江原会の発足-熊中時代 |
江原会を作られたのは熊本中学校第1回卒業生の方たちである。卒業後個人的に 会うことはあっても、組織的な繋がりがないのは寂しいということで、佐方信之氏や中津親義氏といった 1回卒のメンバーが初代校長・野田寛先生にご相談し、正式に同窓会を組織することになった。 時に大正6年(1921年)5月のこと。「江原会」という名前は、野田寛先生が「大江原頭」にちなんで 命名されたものである。野田寛先生は、大正14年に退官されるまで、「士君子」を育てるという理念で 熊中・熊高教育の基礎を築かれた功績により、教育功労者として表彰されている。先生を敬愛する人たちが 先生への思いを綴った本も出版されているし、昭和29年ご逝去のときには江原会葬が営まれた。また、 先生ご愛用の杖は、江原会初代会長に譲られ、熊高の伝統「士君子」の象徴として、歴代の会長に受け継が れている。江原会が世間に広く知られるようになったのは、開校20周年の祝賀会を主宰した時である。 まだ会長制度もなく、世話人の話し合いで運営されていた。昭和初期の江原会は図書館を建てたり(この 図書館は戦災に耐え、昭和49年に取り壊されるまでの45年間生き続けた)、当時まだ珍しかった50 メートルプールの建設に協力したりと、熊中のために尽力された。その後皆さんもご存知の通り、日本は 戦争への道を歩み始め、江原会では戦没者遺族のための募金もしている。いかにも時代を反映した活動 であった。 |
| Vol.2熊高になって |
敗戦後の昭和24年、熊本中学校は熊本県立熊本高校として再スタートを切る。同じ頃 江原会は会長制度となり、初代会長に斎藤宗績氏を迎えた。名実ともに、新しい時代の始まりである。 同窓生には、教育功労賞や文化功労賞などを受賞する人もいるから、そのような人々のために、会として 受賞祝賀会を催すのも嬉しい役割の一つ。特に昭和31年、熊中11回卒の3人(増永氏、福島氏、井上氏) が揃って藍綬褒賞を受賞し、全国でも珍しい名誉だと話題になった。昭和35年、創立60周年記念事業は 大津町に学校植林、記念誌「江原」発行、「野田先生伝」出版(先生のご逝去から6年後。先生がいかに 同窓生に尊敬されていたかが、よく分かる)など多彩な展開である。この後、江原会は10年毎の節目節目 となる時期に、さまざまな記念行事・事業を行っている。 |
| Vol.370周年記念事業(昭和45年) |
| 創立70周年を迎え、野田・福田(福田源蔵3代校長)両先生の胸像を建設、同時に熊中 ・熊高の歴史を振り返る「回顧展」が開催された。この年は、その前年にいわゆる学園紛争のため東大の 入試が中止になるなど、日本が大きく揺れ動いた時代だった。人が誰も、自己の存在を一度は問うように、 江原会もまた、熊中・熊高の伝統は何かについて考える時が来たといえる。学園紛争の余波がまだ世相を 覆った時代、県下でも教育問題が声高に論じられていた。そしてその中心はいつも熊高である。一県立高校 の回顧展という地味な催しに、4,000人以上の入場があったということ自体、内外の熊高への関心の高さを 物語っている。単なる沿革史だけでなく、生徒の側から見た熊高史もと考え、戦災に焼け残った図書館の 資料の他に、いろいろな方面から重要な資料が集められ、会場を埋めた。同じく70周年記念行事として 、約1,200人が集まって初の大同窓会。70周年というめったにないチャンスを生かして縦の繋がりを、と 願う若い同窓生たちの熱意が、成功に繋がった。その翌年(昭和46年)は、熊高と江原会にとって波乱の 年になる。多くの先輩方を育んだ、伝統ある木造校舎が焼け落ちたのだ。同年、江原会初代会長が辞任。 後任はなかなか決まらず、遂に2代会長就任は翌年になってします。しかしこの10年間もっとも画期的で 嬉しい出来事は、昭和50年熊本市最大のイベント・藤崎宮の秋の大祭に、青年江原会として初めて参加 したこと。「士君子」たちもこの時ばかりは、揃いのハッピ姿で燃えに燃えた。 |
| Vol.480周年記念事業(昭和55年) |
| 創立80周年の年も、江原会はいろいろな事業を行っている。「熊中・熊高八十年史」の 発行、そして同窓会館の建設である。総経費は約7,000万円、多額の浄財によるところが大きい。「江原会館」 は、同窓会の絆の強さの象徴ともいえる。また、70周年の「回顧展」のような展示会も企画されたが、今回 は過去ではなく現在(=高校生活)と未来を展望するものにしようと、その名も「記念展」<。熊高は80年代 や90年代をどのように進んでいくのか、それを考えるのにより積極的役割を、という意図があった。 /font> |
| Vol.590周年記念事業(平成2年) |
| 時代は昭和から平成へ。今まで培った伝統の創立記念行事に加え、水野江原会会長の発案で 、県立美術館で「美術・文化展」(10月30日~11月4日)という、初のイベントが開催された。普段 江原会館に展示されている甲斐青萍先生の「熊中校舎」をはじめ、昭和58年文化勲章を受賞された牛島憲之 画伯、アメリカ2世で夭折の漂泊画家・野田英夫画伯の作品、一般同窓生・熊高職員の作品など150点あまり を出品。入場者数1,797人、大成功であった。また、今回の大同窓会は「集い、語り、祝う」をテーマに2,000人 が参加。再会の感激、懐かしさ、友情…どの顔も光り輝いていた。案内状郵送の思いがけない出費といった 苦労話も吹き飛んでしまった。国際化の時代にふさわしく、行事の締め切りは3泊4日のバンコク旅行。昭和 60年に発足した旅行部会が中心に企画し、20代から80代まで、97人が参加。ほかに、「江原の森」 実現のため山林購入、熊高教育充実基金といった記念事業も計画通りに完了している。 |
| Vol.6100周年(平成12年)に向け本格始動 |
平成12年、2000年の秋、熊本高校は創立100周年を迎える。江原会ではこれに あわせ、百年史編纂、国際交流、クラブ振興、教育循環の充実、式典、大同窓会、講演会、芸術祭、資料 展、スポーツ交流、記念旅行など、さまざまな記念事業を準備している。記念すべき時に当たり、目標に 掲げられたのが、未来を見据えたグローバルな視点からの「人材の育成」。1.教育充実基金を設立し、 2.その運営母体として公益法人を創設し、3.後輩たちの人材育成を応援する、ことに決定した。これに 向け、2億円の募金目標を掲げ、募金組織を整えて努力している。また、NoblesseOblige(高貴な業務)の 教育理念が「士君子」にも通じる英国の名門パブリックスクール「イートン校」などと国際交流を図る。 同校へは既に1996年から毎年、生徒20~30名がサマースクールに参加しているが、その継続や 交換留学、部活動の交流、イートン関係者の訪日時の熊本招待など、学校の計画に沿って物心両面からの 支援が考えられている。百周年時には特別な交流も計画されている。また、県全体の教育レベルの向上にも 寄与するため、いずれは法人を組織し先生方の研修を行うことも検討。息の長い交流を目指している。 推進委員会を引き継ぎ、いよいよ100周年実行委員会が本格的に活動している。未来へ羽ばたく皆さん たち、忘れないで欲しい。あなたたちの存在の一番根っこの部分には江原会のあることを。いつの時にも 先輩方は一丸となって、その時々のテーマに取り組んでこられた。伝統は単なる踏襲ではなく創造だ。 だから作り上げて欲しい、江原会の明日を。 |
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見本6おわり
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見本7はじまり
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